海と猫とオトメゴコロと。

一人暮らしアラカンの自分エール

愛猫を亡くして

6月3日、おそらく24時になる少し前、

3匹飼っていた愛猫の中の唯一の女の子、

ラグドールのルルちゃんがお空に昇っていった。

 

ルルちゃんは8年前の11月に新大阪の保護猫施設から譲り受けた子。

 

繁殖用の猫で、当時5歳くらいとのことだった。

 

最初に猫を飼ったのは今から9年前、

スコティッシュフォールドのプリンちゃんから。

 

それまでは犬は好きでも猫には興味がなかったのだが、

猫好きだという息子と同居する際に、

息子のために飼ったつもりが、

私がすっかりはまってしまった。

 

そしてそれから1年半後にもう一匹、、、

と迎えたのがルルちゃんだった。

 

 

もともとはペットショップから保護された子だったらしい。

 

「親猫もらってください」

という張り紙を見た保護活動をされている方が引きとって保護猫施設に連れていき、

そこで譲渡会をされていた。

 

その時5匹同じラグドールを引き取ったらしく、

そのうちで最後まで残っていたのがルルちゃんだとのことだった。

 

 

私がどうやってルルちゃんと出逢ったかというと、、、

 

そのころなんとなく、もう一匹飼いたいな、と漠然と思っていて、

まだ決心はできていなかったけれど、
これも漠然と頭の中に、

窓の大きいリビングで、プリンちゃんと2匹で走り回っている

もう一匹の猫のイメージがあった。

 

猫に詳しくない私は猫種もあまり知らなかったけれど、

それも何となく姿かたちをイメージしていた。

 

さらに名前も「ルルちゃん」と決めていた。

 

 

そしてそんな中、猫を探そうという目的ではなく、

新しいブログを始めたくてブログの種類を探そうとしたら、

偶然「動物ブログ」なるものを見つけ、クリックしてみると、

「犬ブログ」「猫ブログ」と出てきたので、

そんなのがあるんだ、と思い「猫ブログ」をクリックした。

 

それは結局、猫のことを書いたブログのランキングページだった。

 

ランキング1位の「猫の幼稚園」を開いてみると、それは保護猫施設のブログで、

出てきた記事に貼られていた猫の写真を見たとたん、

 

「あーーー!!私のルルちゃんがここにいたーーー!!」

 

と思ったのだった。

 

猫の幼稚園は新大阪だったが、

当時仕事で定期的に大阪に行っていたので

連絡してお見合いに行った。

 

マンションの1室に30匹ほどの猫がうじゃうじゃいて、

その中にルルちゃんはいた。

 

そこでは「ゆきみちゃん」という名前で呼ばれていた。

 

元気に遊ぶ子猫たちがたくさんいる中で、

ルルちゃんは洗面所の入口に一人でポツンと寝ていた。

 

どうやら人見知りで、あまり人になつかないようだった。

 

ちょっと目もきつめで、

人を敬遠しているようなところがあったから、

5匹のうち最後まで残ってしまっていたのだと思う。

 

おやつタイムがやってきて、

元気な猫たちが争っておやつを取りにくる中、

欲しいけれどその争いの中に入り切れず、

遠巻きにぐるぐるしている、そんな子だった。

 

「この子でいいですか?」

と聞かれて「もちろん!」と答えた。

 

保護施設では譲渡先の状況を確認するために、

引き取りはさせてもらえず、

「連れていきます」と言われ、

神戸に住む保護活動をされている方が、

自腹で東京の本駒込の自宅までルルちゃんを連れてきてくださった。

 

ケージの代金すら自腹で。

 

保護活動をされている方ってそこまでするんだ、、、とすごくびっくりした。

 

我が家としては先住猫のプリンちゃんの次に迎えた子。

 

二人が仲良くなってくれることを望んでいたけれど、

ルルちゃんはケージの中でプリンちゃんを見て威嚇していた。

 

威嚇する猫を見たことがなかった私は、

かわいいプリンちゃんを威嚇するルルちゃんに対して、

少し腹立たしい感情を抱いた。

 

プリンちゃんは最初から人懐っこくひょうきんで、

かわいいしかなかったが、

ルルちゃんはその後もなかなか寄り付かず、

「ツン」として「ほっといて」と言っているように見えたので、

どちらかというとプリンちゃんをかわいがり、

ルルちゃんはほおっておく方が多かったと思う。

 

しばらくするとルルちゃんは、

部屋の隅やカーテンの縁、ベッドの上など、

トイレ以外のところで頻繁に粗相をするようになった。

 

私は困った子だ、とさらに腹立たしさを覚え、

そのたび叱っていた。

 

「私はこの子を愛せるかしら?」と不安になったこともあった。

 

なかなかそれが直らないのである時霊能師さんに見てもらったら、

「もっと撫でてほしいと言ってますよ。」

と言われてびっくりした。

 

え??と思ったけれど、

その夜から息子と二人でルルちゃんを撫でまくった。

 

すると、粗相はピタッと止まったのだ。

 

ほっといて、じゃなかったんだ。

愛情が欲しかったんだ。

 

確かに撫でると、おしりをくいーーーっと上にあげる。

 

そしてぱたんと倒れてもだえる。

 

プリンちゃんには見られない、

妙にセクシーなポーズでいやらしい、、、

なんて思っていたけれど、

あれはルルちゃんの喜びの最大表現だったんだ。

 

そこからだんだんとルルちゃんとの距離が縮まり、

ベッドで一緒に寝てくれるようにもなった。

 

人を敬遠していたルルちゃんが、

いつの間にか誰が来ても物おじしない、隠れもしない、

誰でもウエルカムな子に変わっていった。

 

健康面で言えば、ルルちゃんはよく膀胱炎になった。

 

膀胱炎になると、トイレ以外のあちこちでおしっこをちびる。

 

最初はびっくりしたが、

ホメオパシーのレメディを上げると数時間で収まるようになり、

私も慌てなくなった。

 

2017年10月にルルちゃんのおなかにしこりを発見し、

迷いながら1年過ぎた2019年1月に乳腺腫瘍の手術を受けた。

 

そしてそれからすぐに再発し、5月に2度目の手術。

 

以来光線治療器で再発を防ぐことができていた。

 

ただ猫たちと一緒に寝ていた私が、

プリンちゃんに夜中に何度も起こされるのが嫌になり、

寝る時は別室にして以来、

ルルちゃんに光線を当てることをしなくなってしまった。

 

もしかしたらあのままずっと当て続けていたら、

今回の病気(腎不全)ももう少し軽くできていたのかもしれない。

 

そんなルルちゃんの様子がおかしくなったのはこの1か月ほど。

 

ご飯を食べる量が減ってきていた。

 

そしてオシッコをちびったり、

なぜかおしもが茶色く汚れて臭くなりはじめ、

病院に行ったのが5月12日。

 

その日は割と調子が良かったので先生もわからず、

とりあえず膀胱炎の薬をもらってきた。

 

すぐには薬を飲ませず、レメディを上げて1週間様子を見たが、

汚れがよくならないので薬を飲ませた。

 

すると汚れは収まり、22日の検査ではおしっこに異常はなし、

ただウンチが全くでなくなり、

5月23日に再度診察を受け、摘便してもらった。

 

ホッとしたのもつかの間、それからも全くウンチが出ず、

食欲は減る一方でどんどん食べなくなり、、、

 

6月1日2度目の摘便。

 

検査してみないとはっきりわからないとのことで、

翌日の検査予約をした。

 

そのあとはもう歩くのもフラフラになり、

ちゅーるしか食べなくなった。

 

あまりに衰弱してしまったので、

検査もかわいそうな気がして、

2日の朝、検査はキャンセルした。

 

私の中ではもう、

ルルちゃんはよくならないだろうと、覚悟ができていたのだと思う。

 

ところが病院から電話を頂き、

再度考え直して正午過ぎ、ダーリンと検査に連れて行った。

 

検査結果は腎臓の数値が異常に高く、

入院するか、毎日昼間預けて静脈点滴に通うか、

毎朝皮下点滴に通うか、もしくはなにもしないか、

という決断を迫られた。

 

ひとまずその日はそのまま夕方まで静脈点滴をしてもらうことにし、

私たちはいったん帰宅した。

 

いよいよ覚悟を決めなければ、、、、

 

ルルちゃんがもうじきいなくなってしまう、、、

と思ったら、もう泣けて泣けて、、、

 

頭が痛くなるほど泣いて、、、

 

ダーリンに支えてもらいながら

気を取り直して夕方迎えに行き、

家に連れて帰った。

 

 

費用のこともあるが、

ルルちゃんにとって一番何がいいのかを考えた。

 

でも一人では決断できず、

夜息子と相談したら、「明日の夜行くから。」と言ってくれ、

とりあえず明日もう一日だけ皮下点滴をしてもらい、

その様子を見て夜、その後のことを決めよう、となった。

 

その夜は、ルルちゃんと一緒にベッドで寝たが、

もうほとんど動けなくなったルルちゃんは、

おしっこで汚れてもいいようにタオルをしいた猫マットの上で、

何度も向きを変えたり、起き上がろうとしたり、

マットから出ようとしたり、おしっこで汚れたタオルを取り換えたり、

私もルルちゃんも眠れない一夜を過ごした。

 

そして3日朝、

皮下点滴をしてもらうつもりで病院に行ったが、

院長先生とお話をして、何もしないで家に帰ることにした。

 

ルルちゃんはつらいけど痛そうではなかったことと、

点滴をすることで逆に吐く、けいれんを起こす、呼吸がしずらくなるといった

症状を起こしているんだ、というとある獣医さんの投稿が決め手になった。

 

帰宅してから膝の上で光線治療器を当てながらずっと撫でていた。

 

ルルちゃんは気持ちよさそうにしてくれて、

私も気持ちが落ち着いてきた。

 

2時間半たったころ、

ルルちゃんは降りたそうにしたので、ベッドに寝かせてあげた。

 

それからほとんど、ベッドからは起き上がらなかった。

 

気にかけながら軽く食事をし、お風呂に入り、

息子が21時45分ごろやっと来てくれて、

少し話をしたところで私は22時からのzoomでのセミナーに参加した。

 

セミナー中もなるべく近くにいて、

たびたびルルちゃんのおなかが動いているのを確認していた。

 

が、24時の少し前にパソコンの電池がなくなってきたので、

テーブルに移動してそこからしばらくルルちゃんを見るのを怠ってしまった。

 

そして24時20分ごろ、

ふとルルちゃんを見てみると、おなかが動いていない気がして、

慌てて近寄って触ってみたら、もうすでに少し硬くなっていた。

 

私が見ていない間に、お空に昇ってしまっていた。。。

 

「ルルちゃんが死んじゃったーーーー!!」

 

動転して叫び、寝室にいた息子を呼んだ。

 

それからしばらく、嗚咽号泣した。

 

見ていない間に逝ってしまった。

 

ずっと見ててあげたかったのに、

セミナーなんか出るんじゃなかった、

ごめんね、ごめんね、ひとりにしちゃってごめんね、、、

 

そんな気持ちが溢れてきた。

 

息子は、

「2時間半、なでなでしたんでしょ。満足げだったんでしょ。

 ママが普通にしてたから、安心して逝ったんだよ。」

と言ってくれた。

 

でも号泣はなかなか収まらなかった。

 

ただ、、、

遺体をお葬式までちゃんとしなくてはいけないので、保冷剤で冷やしてあげた。

 

そして息子と相談して葬儀屋さんを決め、連絡をしてもらった。

 

葬儀は4日17時と決まった。

 

ひとまず気持ちが落ち着いたところで、

息子と二人、ルルちゃんの横に布団を敷いて寝ることにした。

 

布団の中で息子と思い出話をしてまた泣けたり、

二人ともなかなか眠れなかった。

 

翌朝はゆっくり起きて身支度をした。

 

ダーリンが11時ごろ来てくれて、

お昼ご飯を軽く用意してくれた。

 

お嫁ちゃんもお願いした花束を買って、

3時少し前に来てくれた。

 

家族みんながルルちゃんのお葬式のために集まってくれた。

 

お葬式が終わったら、偲びながら食事をしようと、

私は買い物に行った。

 

16時45分ごろから、

最後のお別れと思い、

ずっとルルちゃんのそばにいて、撫でたり、頬ずりをしたり、

泣いて悲しんだ。

 

そして17時、予定通り業者さんがやってきて、(火葬車)

ルルちゃんをおくるみでつつみ、

花束とちゅーるを添えて、「ありがとうね、お空で会おうね。」

と言葉をかけて火葬してもらった。

 

お骨をひとつひとつ、部位の説明を受けながらみんなでひろい、

骨壺に詰めた。

 

指の骨は2つ、キーホルダーになった。

 

思いきり悲しんだ後は、

みんなで楽しく食事ができた。

 

きっとルルちゃんも、

私たちが楽しそうにしている方がうれしいと思ったから。

 

二晩あまり寝ていなかったので、

ワインがよく回って、その後そのまま寝てしまった。

 

 

私の気持ち、心の中の会話を書こうと思ったのに、

事実を並べただけでこんなに長くなってしまった。

 

次の記事でそれを書こう。